指揮者、ソリストご紹介(3) 


このページは1999年にNHK交響楽団が共演した指揮者、独奏者のプロフィール(N響の機関誌「フィルハーモニー」の解説を抜粋したものです)と私の感想をまとめたページです。(全部の公演を網羅するものではありません。)
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1999年
指揮者:スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ大植英次上岡敏之大勝秀也エマニュエル・クリヴィヌ
ソリスト:コンスタンティ・クルカ(ヴァイオリン)、ベラ・ダヴィドヴィッチ(ピアノ)、ギャリック・オールソン(ピアノ)、ニコライ・ペトロフ(ピアノ)、加藤知子(ヴァイオリン)、児玉麻里・桃(ピアノ)、シャンタル・ジュイエ(ヴァイオリン)、渡辺玲子(ヴァイオリン)、シェリー・グリーナヴァルト(ソプラノ)、ロバータ・アレキサンダー(メゾ・ソプラノ)、アンソニー・D・グリフィー(テノール)、ハロリン・ブラックウェル(ソプラノ)、堀正文(ヴァイオリン)、チョーリャン・リン(ヴァイオリン)、ガブリエーレ・シュナウト(ソプラノ)、ヤーノシュ・シュタルケル(チェロ)、店村眞積(ヴィオラ)、園田高弘(ピアノ)、松崎裕(ホルン)


指揮者

スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ 

1923年ポーランド生まれ。ピアノ、作曲の神童として知られ、10大から盛んに演奏活動を行ったが、第2次大戦で手を負傷し、ピアニストへの道を断念、作曲と指揮に専念する。ワルシャワ・フィルなど母国での活動を経て、58年ジョージ・セルの招きでクリーブランド管弦楽団を指揮、輝かしいアメリカデビューを飾る。60〜79年までミネソタ管弦楽団の音楽監督、84〜92年までイギリス・マンチェスターのハレ管弦楽団の首席指揮者を歴任、両オーケストラの水準を飛躍的に向上させた。

大植英次 

1957年広島生まれ。桐朋学園で斎藤秀雄に師事し、1978年には小沢征爾の招きでタングルウッド音楽祭に参加、クーセヴィツキー賞を受賞している。またここでバーンスタインに師事し、以後世界各地の公演に同行する。90年からエリー交響楽団の9代目音楽監督となり、95年からはミネソタ管弦楽団の音楽監督に抜擢される。

上岡敏之 

1960年東京生まれ。東京芸術大学指揮下出身。96年からヴィースバーデンにあるヘッセン州立歌劇場の音楽監督を務めている。98年からはヴィースバーデンと兼任で、北西ドイツ・フィルハーモニーの首席指揮者にも就任している。

大勝秀也 

1961年東京生まれ。東京音楽大学指揮科を卒業後、88年にドイツに渡り、ボン州立歌劇場アシスタント、ゲルゼンキルヒェン市立歌劇場第一指揮者を経て、94年からボン市立歌劇場第一指揮者として契約。96年よりマルメ市立歌劇場の音楽監督に就任している。

エマニュエル・クリヴィヌ 

1947年フランスのグルノーブルに生まれる。最初はヴァイオリニストとしてパリ音楽院を卒業し、メニューヒンやシェリングに師事した。しかし65年にカール・ベームに出会って、指揮者への転向を決意する。76年からフランス放送新管弦楽団の首席客演指揮者を7シーズン務め、87年に国立リヨン管弦楽団の音楽監督に就任した。


ソリスト

コンスタンティ・クルカ(ヴァイオリン) 

1947年ポーランド北部のグダニスクの音楽一家に生まれる。父はテノール歌手、母はピアニスト。地元の音楽院でステファン・ヘルマン教授に師事したあと、64年にイタリア・ジェノヴァのパガニーニ国際ヴァイオリン・コンクールに入賞、66年にはミュンヘン国際音楽コンクールに優勝、一躍檜舞台に登場。
今回はスクロヴァチェフスキの「シマノフスキーの協奏曲には彼しか考えられない。」との熱烈なリクエストに応えてのN響定期初登場。

ベラ・ダヴィドヴィッチ(ピアノ) 

旧ソ連のバクー生まれ。アゼルバイジャン音楽院とモスクワ音楽院で学び、1949年第4回ショパン国際ピアノ・コンクールでチェルニー・ステファンスカと1位を分け合う。モスクワ音楽院在学中のことである。
ソヴィエト各地で活躍後、息子ドミートリ・シトコヴェツキのジュリアード留学を機に78年アメリカ移住。同時期に行ったイタリア・ミラノでのリサイタルが絶賛を博し、揺るぎない名声を確立した。

ギャリック・オールソン(ピアノ) 

1948年ニューヨーク生まれ。ジュリアード音楽院でロジーナ・レヴィン、サッシャ・ゴロドニツキなどの名教師につく。66年イタリアのブゾーニ、69年カナダのモントリオール各国際コンクール優勝を経て、70年第8回ショパン国際ピアノコンクールに優勝。

ニコライ・ペトロフ(ピアノ) 

1943年、モスクワで音楽家と舞踊家の名門の家系に生まれる。1949年6歳でモスクワ音楽院付属中央音楽学校に入学。そこでタチアナ・ケストナーに師事した彼は、モスクワ音楽院に進んでからはヤコフ・ザークのもとで研鑽を積む。1962年ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールで第2位入賞、64年のエリーザベト王妃国際音楽コンクールで第2位に輝く。チャイコフスキー国際コンクールでは指のケガで辛酸をなめる。その直後から国際的な活躍に入る。

加藤知子(ヴァイオリン) 

4歳からヴァイオリンを学び始め、三瓶詠子、久保田良作、江藤俊哉の各氏に師事。第47回日本音楽コンクールで第1位とレウカディア賞を獲得、翌年の海外派遣コンクールでは特別賞を受賞した。1980年に桐朋学園大学を卒業、翌年8月にはアメリカのタングルウッド音楽祭に参加、メイヤー賞を受賞。同年10月ボストンのニューイングランド音楽院に入学、ヴァイオリンをドロシー・ディレーに、室内楽をロレンス・レっサーに師事した。81年夏にはアスペン音楽祭に招かれ、同年9月からは文化庁派遣研修員として2年間ジュリアードに留学。82年チャイコフスキー国際コンクールで第2位獲得。

児玉麻里・桃(ピアノ)  

姉の麻里は、大阪生まれ。1981年パリ音楽院に入学し、ピアノをジェルメール・ムニエに、室内楽をジェヌヴィエーヴ・ジョア=デュティーユに師事。84年に日本、87年にロンドン、95年にカーネギー・ホールにデビュー。97年には夫であるケント・ナガノ率いるリヨン歌劇場管弦楽団の来日公演でラヴェルのピアノ協奏曲を演奏した。
妹の桃も、大阪生まれ。13歳でパリ音楽院に入学、 タチアナ・ニコライエワ、ヴェラ・ゴルノスタエワ、マレイ・ペライヤに師事。89年パリのシャトレ座でヴァイオリンのカントロフと共演してデビュー。90年ショパン・コンクールで名誉賞を受賞。91年ミュンヘン国際音楽コンクールで1位なしの第2位を受賞。同年アメリカデビュー。92年東フィルと共演して東京デビュー、N響とは93年の「若い芽のコンサート」で共演、ショパンのピアノ協奏曲第1番を演奏。

シャンタル・ジュイエ(ヴァイオリン) 

カナダのモントリオール生まれ、9才の時にケベック音楽コンクールで1位を獲得、同年協奏曲のソリストとしてでビュー。ジュリアード音楽院ではドロシー・ディレーとイヴァン・ガラミアンに師事。スイスでマックス・ロスタル、インディアナ大学でジョセフ・ギンゴールドに師事。カナダを代表するヴァイオリニストとして活躍し、ニューヨーク・フィル、フィラデルフィア管弦楽団、フィルハーモニア管弦楽団など世界一流のオーケストラとの共演も多い。デュトワの信頼の厚い人である。

渡辺玲子(ヴァイオリン) 

東京生まれ、3才からヴァイオリンを始める。15歳で日本音楽コンクール第1位入賞。その時弾いたバルトークのヴァイオリン協奏曲第2番は今でも語り草になっている。85年にニューヨークに渡り、ジュリアード音楽院でジョゼフ・フックスに師事。92年に修了。84年のヴィオッティ、86年のパガニーニコンクールでともに1位なしの第2位を受賞。今までに、ドレスデン、BBC、フィルハーモニア、セントルイス、ロサンゼルスなどの一流オーケストラと共演。
N響とは82年の「若い芽のコンサート」でバルトークの第2番、91年1月の定期でパガニーニの第1番、96年2月の定期ではスクロヴァチェフスキ指揮のもとプロコフィエフの第2番を弾く。

シェリー・グリーナヴァルト(ソプラノ) 

アメリカのウェスト・ヴァージニア州出身。コロラトゥーラ、リリック・ソプラノとしてアメリカの主要オペラハウス、オーケストラ、音楽祭に名を連ねる。グルック、モーツァルトからイタリア、フランス、R.シュトラウスのオペラ、マーラーの交響曲まで幅広いレパートリーを持つ。

ロバータ・アレキサンダー(メゾ・ソプラノ) 

ミシガン大学を経てオランダに留学。82年以降アーノンクール、コリン・デービスと協演、またクプファー演出のオペラで頭角を現した。
メトロポリタン・オペラ、ロイヤル・オペラ、ウィーン国立歌劇場、ベルリン州立歌劇場、チューリッヒ歌劇場、イギリスのグラインドボーン音楽祭など、世界の檜舞台で情感豊かな歌唱、彫りの深い演技を披露してきた。最近はメゾ・ソプラノのレパートリーも歌っている。

アンソニー・D・グリフィー(テノール) 

ジュリアード音楽院で学び、94年に一流声楽家の登竜門として知られるメトロポリタン・オペラの若手アーティスト育成プログラムに賛歌。95年4月に「パルシファル」野木氏でどうオペラへのデビューを果たした。翌年には小沢征爾指揮のタングルウッド音楽祭でブリテンの「ピーター・グライムス」のタイトル・ロールを歌い、サイトウキネンフェスティバル松本でプーランクの「ティレジアスの乳房」に出演。

ハロリン・ブラックウェル(ソプラノ) 

故郷ワシントンDCのカトリック大学に学び、ブロードウェイでバーンスタインの「ウェストサイド・ストーリー」に出演、ミュージカル歌手としてキャリアを開始した。93年にメトロポリタン・オペラの最終オーディションに残ったことを契機にオペラ歌手を目指すようになる。

堀正文(ヴァイオリン) 

1949年生まれ。京都市立堀川高校音楽家を経てドイツ南西部のフライブルク音楽大学に留学、ウォルフガング・マルシュナー教授に師事。在学中よりハイデルベルク室内合奏団のソリストとして活躍、74年ダルムシュタット州立歌劇場管弦楽団の第1コンサートマスターに就任。79年3月、岩城宏之指揮のNHK交響楽団とチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲を弾き、同年9月にコンサートマスターとして入団。

チョーリャン・リン(ヴァイオリン) 

1960年台湾生まれ。7才で最初の演奏会を開き、11歳の時には台湾の全国少年コンクールで優勝。75に渡米し、ジュリアード音楽院のプレ・カレッジに奨学生として入学、その後ジュリアードでドロシー・ディレイ女史のもとで学び、79年ソフィア王妃コンクールやアスペン音楽祭コンクールで優勝。

梯剛之(ピアノ) 

1977年東京で生まれた。生後1ヶ月で小児ガンによって視力を失う。90年母親とともにウィーンに渡り、エリザベート・ドヴォラク=ヴァイスハールに師事している。94年にドイツのエトリンゲン青少年国際ピアノコンクールで第1位、95年アメリカのストラヴィンスキー国際音楽コンクールで第2位を獲得。そして98年ロン=ティボー国際音楽コンクールで第2位に入賞。

ガブリエーレ・シュナウト(ソプラノ) 

ドイツのマンハイム生まれ。最初はヴァイオリンを学ぶ。1971年フランクフルトとダルムシュタットの音楽大学で声楽を専攻する。当初メゾ・ソプラノとしてデビュー。
1977年にはバイロイト音楽祭にデビュー、1980年よりマンハイムのナツィオナール劇場と契約、デュッセルドルフのライン・ドイツオペラに所属したのちフリーとなる。現在ワグナー作品における最高のドラマチック・ソプラノと見なされている。活動もワグナーが中心となっている

ヤーノシュ・シュタルケル(チェロ) 

1924ねんはんがりーのブダペストに生まれる。7歳でブダペスト音楽院に入学を許され、その4年後には独奏者としてデビューする。音楽院卒業後1945年から翌年までブダペスト歌劇場の首席チェロ奏者をつとめたのち、西欧に移り国際的名声を確立した。1948年アメリカに移りダラス交響楽団首席チェリストに就任、49年フリッツ・ライナーの招きを受けてメトロポリタンオペラに移る。53年ライナーがシカゴ響に移ったのを機にシカゴに移った。90年ごろから不死鳥のようによみがえった。

店村眞積(ヴィオラ) 

1948年京都生まれ。6歳からヴァイオリンを始め東儀祐二、鷲見三郎、江藤俊哉らに師事。73年日本音楽コンクールヴァイオリン部門で第3位入賞。よく74年には桐五重奏団のヴィオラ走者として民音コンクール室内楽部門第2位、齋藤秀雄賞受賞。76年イタリアに移り、イタリア弦楽四重奏団のピエロ・ファルッリに師事、77年にはジュネーヴ国際音楽コンクールのヴィオラ部門第2位。84年に帰国し、読売交響楽団にソロ・ヴィオラ奏者として入団、現在に至る。

園田高弘(ピアノ) 

1928年東京生まれ。レオ・シロタ、豊増昇に師事。48年に東京音楽学校(現東京芸術大学)を卒業、日本交響楽団(現NHK交響楽団)の定期演奏会にデビュー、さらにデビューリサイタルを開く。50年に渡欧しパリでマルグリット・ロン、ベルリンでヘルムート・ロロフに師事。54年には初来日のカラヤン指揮のNHK交響楽団特別演奏会でソリストをつとめる。
こうした演奏活動の一方、京都市芸術大学、東京芸術大学などで後進の指導にあたり、ジュネーヴ、チャイコフスキー、ショパン、エリザベート、ブゾーニ等の国際コンクールの審査員にも招かれる。

松崎裕(ホルン) 

1950年福岡市生まれ。東京芸術大学でN響首席奏者の千葉馨に師事。新日本フィルハーモニー交響楽団の首席奏者を経て、75年ミュンヘンのリヒャルト・シュトラウス音楽院に入学、ジャック・メレディスに師事。
76年ヴォルフガング・サヴァリッシュ率いるバイエルン州立歌劇場管弦楽団に入団。79年に帰国し、N響に入団現在に至る。


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