指揮者、ソリストご紹介(2) 


このページは1998年にNHK交響楽団が共演した指揮者、独奏者のプロフィール(N響の機関誌「フィルハーモニー」の解説を抜粋したものです)と私の感想をまとめたページです。(全部の公演を網羅するものではありません。)
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1998年
指揮者:ハンス・ドレヴァンツ若杉弘ホルスト・シュタインシャルル・デュトワウルフ・シルマーアラン・ギルバート準・メルクルアンドレ・プレヴィンチョン・ミュンフンマレク・ヤノフスキヘルベルト・ブロムシュテットヴォルフガング・サヴァリッシュ
ソリスト:藤川真弓〔ヴァイオリン)、ドリス・ゾッフェル〔アルト)、ロバート・ガンビル〔テノール)、スタニスラフ・ブーニン〔ピアノ)、木村かおり〔ピアノ)、小山実稚恵〔ピアノ)、クリスティアン・テツラフ〔ヴァイオリン)、ラルス・フォークト〔ピアノ)、ポール・エルミング〔テノール)、マッティ・サルミネン〔バス)、ヴォルフガング・シェーネ〔テノール)、吉野直子(ハープ)、上田晴子(ピアノ)、本荘玲子(ハープシコード)、ブルーノ・レオナルド・ゲルバー(ピアノ)、リーラ・ジョセフォヴィッツ(ヴァイオリン)、ピエール・ロラン・エマール(ピアノ)、原田節(オンド・マルトノ)、ジャン・フィリップ・コラール(ピアノ)、アンヌ・ケフェレック(ピアノ)、スティーブン・コワセヴィチ(ピアノ)、ロバータ・アレクサンダー(ソプラノ)、ギル・シャハム(ヴァイオリン)、ミッシャ・マイスキー(チェロ)、イングリット・ヘブラー(ピアノ)、マキシム・ヴェンゲーロフ(ヴァイオリン)、ザビーネ・マイア(バセット・クラリネット)、堀米ゆず子(ヴァイオリン)、今井信子(ヴィオラ)、菅英三子(ソプラノ)、インゲボルグ・ダンツ(アルト)、吉田浩之(テノール)、妻屋秀和(バス)、スウェーデン放送合唱団トーマス・ツェートマイヤー(ヴァイオリン)、イェフィム・ブロンフマン(ピアノ)、マリオ・ブルネルロ(チェロ)、ティモシー・ハッチンス(フルート)


指揮者

ハンス・ドレヴァンツ 

1929年ドレスデンに生まれる。フランクフルト音楽大学に学ぶ。50年フランクフルト市立歌劇場副指揮者に就任。この間音楽監督ゲオルク・ショルティのもとで研鑽を積む。59年から63年にかけてヴッパータール市立劇場の首席指揮者を務める。その後63年から95年の32年間にわたってダルムシュタット州立劇場の音楽監督を務めた。
95年からは北オランダ・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督を務めている。
今回は93年4月以来5年ぶりのN響登場。今回の公演でも得意のマーラー藤、各プロ実力派のソリストを迎えての名演が期待される。

若杉弘 

東京芸術大学指揮科卒業、卒業と同時にN響の指揮科研究員となり、読売日本交響楽団常任指揮者、ケルン放送交響楽団首席指揮者、ライン・ドイツ・オペラ音楽総監督、ドレスデン国立歌劇場並びにシュターツカペレ常任指揮者等を歴任。サントリー音楽賞を受賞。内外でワグナー、ブルックナー作品を数多く手がける一方、メシアン、デュティーユ、ブーレーズなどの現代作品の優れた解釈家として絶賛を博する。
NHK交響楽団正指揮者。

ホルスト・シュタイン 

1928年ドイツのエルバーフェルトの生まれ。フランクフルト、ケルンの音楽院で学び、バイロイト音楽祭にてカイルベルト、クナッパーツブッシュ、カラヤンらのアシスタントを務める。ベルリン国立歌劇場、マンハイム国立歌劇場、ウィーン国立歌劇場、ハンブルク国立歌劇場、スイス・ロマンド管弦楽団などの要職を歴任。85年バンベルク響の首席指揮者に就任。96年には名誉指揮者となる。
バイロイト音楽祭でも「ニーベルングの指輪」「パルジファル」「ニュルンベルグのマイスタージンガー」などを指揮、ワグナー指揮者として高い評価を得ている。

ウルフ・シルマー 

ドイツ北部ブレーメンの生まれ。同地で学んだ後ハンブルク音楽大学でリゲティ、シュタイン、ドホナーニの薫陶を受ける。80年にウィーン国立歌劇場のコレペティトール(ピアノで歌手にけいこをつける助手)に迎えられ、マゼールのアシスタントを経て84年から同歌劇場の客演指揮者となる。88〜91年までヴィースバーデンのヘッセン州立歌劇場音楽総監督、91〜95年再びウィーン国立歌劇場と契約、以降デンマーク放送交響楽団の首席指揮者に就任。

アラン・ギルバート 

1967年ニューヨークに生まれる。両親がニューヨーク・フィルハーモニックのヴァイオリン奏者(母は日系)という恵まれた環境で育ち、ハーヴァード、ジュリアード、ニューイングランド、カーティス各音楽院でヴァイオリン、作曲、指揮を学んだ。92年から昨年までニュージャージーのハドンフィールド交響楽団の音楽監督。96年にはクリーブランド管弦楽団の定期公演にも起用された。

準・メルクル 

1959年ミュンヘンの生まれ。ハノーバー音楽大学でヴァイオリン、ピアノ、室内楽、指揮を学ぶ。アメリカのミシガン大学に留学後、ルツェルン、ベルン、ダルムシュタット、ザールブリュッケンの各歌劇場を経て94年にマンハイムの歌劇場の音楽監督に迎えられた。

アンドレ・プレヴィン 

1929年ベルリン生れ。パリ、ロサンゼルスでピアノ、作曲を学び、43年アメリカ国籍を取得。サンフランシスコでピエール・モントゥーの薫陶を受ける。62年セントルイス交響楽団で指揮者として正式にデビュー。以来、ロンドン交響楽団(現在桂冠指揮者)、ピッツバーグ交響楽団、ロイヤルフィル、ロサンゼルス・フィルの音楽監督ほかを歴任。70年代半ば以降ウィーン・フィルのメンバーとの室内楽でも絶賛を博す。現在欧米第一線のステージで指揮者、ピアニスト、作曲家として活躍。

チョン・ミュンフン 

1953年韓国生まれ。幼少の頃からピアノを学び、7歳でソウル・フィルハーモニーと協奏曲を弾いてデビュー。15歳でアメリカに移住し、ニューヨークのマンネス音楽院でピアノと指揮を学ぶ。70年から数々のコンクールでピアニストとして輝かしいキャリアを重ねるとともに、75年からはジュリアード音楽院で指揮を更に学ぶ。84年ドイツのザールブリュッケン放送交響楽団の音楽監督に就任してから頭角を表わす。89年パリ・オペラ座バスティーユの初代音楽監督になって名声を確立した。97年ローマのサンタ・チェチーリア国立アカデミー管弦楽団の音楽監督に就任。

マレク・ヤノフスキ 

1939年ワルシャワに生まれる。幼時にドイツに移住し、アーヘン、ケルンの歌劇場のコレペティトール、副指揮者から始め、64年デュッセルドルフのライン・オペラの第1指揮者、69年ハンブルク国立歌劇場の第1指揮者を経て、73年からフライブルク市立劇場、75年からドルトムント市立劇場の音楽監督を務める。86〜90年ケルンのギュルツェニヒ管弦楽団の音楽監督。更に84年以来フランス国立放送フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督。

ヘルベルト・ブロムシュッテト 

1927年、アメリカのマサチューセッツ州スプリングフィールドに生まれる。2歳の時両親の祖国スウェーデンに移住、ストックホルム王立音楽院で主に楽器演奏を習得、ウプサラ大学で音楽学を学んだ後ジュリアード音楽院に留学し、本格的に指揮法を修める。1954年ストックホルム・フィルを指揮してデビュー、75〜85年のドレスデン国立歌劇場管と77年〜85年スウェーデン放送響の首席指揮者時代に名声を確立した。85〜95年はサンフランシスコ響音楽監督を務める。
N響は81年に初登場以来今回が12回目の登場となる。


ソリスト

藤川真弓〔ヴァイオリン) 

70年5月ベルギーの国際ヴュータン・コンクールで審査員全員一致で優勝。同年6月チャイコフスキー国際コンクールで第2位。翌年オーマンディ指揮/フィラデルフィア管と共演してアメリカデビュー。74年にはロンドン響との共演でイギリスデビュー。プレヴィン/ロンドン響、マゼール/ニューヨーク・フィルなどの著名なオーケストラとの共演のほか、ソロ、室内楽も活発に行っている。
96年1月の定期でのエルガーのヴァイオリン協奏曲〔D.アサートン指揮)以来、2年ぶりの共演。

ドリス・ゾッフェル〔アルト) 

ドイツに生まれミュンヘンの音楽アカデミーで最初ヴァイオリンを、後に声楽を学ぶ。シュトゥットガルト歌劇場を経て、バイロイトを始めとする音楽祭や、ミラノ・スカラ座やメトロポリタン歌劇場などのオペラハウスに出演。
N響には93年12月の定期でマーラーの交響曲第3番を歌って以来5年ぶりの登場。

ロバート・ガンビル〔テノール) 

アメリカ・インディアナに生まれる。ドイツ・ハンブルクの音楽アカデミーで学び、フランクフルト・オペラやミラノ・スカラ座で在学中より活動を始める。ヴィースバーデンとチューリッヒ歌劇場の専属歌手を務めた後、ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場、ウィーン国立歌劇場、ミラノ・スカラ座を初めとする主要な歌劇場で活躍。
今回N響とは初共演。

スタニスラフ・ブーニン〔ピアノ) 

1985年第11回ショパンコンクールの覇者ブーニンが8年ぶりに定期出演をはたす。
88年活動の本拠をドイツに移し、ザルツブルグ音楽祭、シュレスヴィヒ=ホルシュタイン音楽祭を初めとするヨーロッパの主要音楽祭に出演。G.プレートル指揮/フランス国立管、D.ジンマン指揮/ボストン響などのオーケストラと共演。95年9月のN響ヨーロッパ公演〔指揮:若杉弘)では、イタリア・トリノでソリストを務める。

村かおり〔ピアノ) 

現代音楽とりわけメシアン作品の演奏で国際的に高い評価を得ているピアニスト。東京芸術大学を経てパリ国立高等音楽院に留学。67年第1回メシアン現代音楽国際コンクール第2位入賞。その後メシアン、イヴォンヌ・ロリオに師事。インバル指揮フランクフルト放送響、岩城宏之指揮N響、小澤征爾指揮新日フィルなど多くのオーケストラと共演。

小山実稚恵〔ピアノ) 

東京芸術大学卒業、同大学院修了。吉田見知子、田村宏の両氏に師事。1982年チャイコフスキー、85年ショパンと両方の国際コンクールに入賞を果たした初の日本人。91年ロイヤル・フィルとの共演でロンドン・デビュー。リサイタルのほか、オーケストラとの共演にも意欲的に取り組む。BBC響、アカデミー室内管、モントリオール響など海外のオーケストラとの共演も多い。94年チャイコフスキー国際コンクールでは審査員を務める。

クリスティアン・テツラフ〔ヴァイオリン) 

若手実力派として注目を集めるテツラフは1966年ハンブルグに生まれた。リューベックとシンシナティの音楽院で学び、ベルリン音楽祭とクリーブランド管弦楽団との共演でデビュー。この公演の大成功を収めて以来、ベルリン・フィル、ボストン交響楽団などを初めとする主要オーケストラと共演。また室内楽の分野でも高い評価を得ておりヨー・ヨー・マ、ハインリッヒ・シフたちと共演している。90年ドホナーニ指揮クリーブランド管弦楽団日本公演のソリストとして来日、シェーンベルグのヴァイオリン協奏曲で絶賛を博す。N響とは93年ベルクのヴァイオリン協奏曲を共演して以来。

ラルス・フォークト〔ピアノ) 

1970年ドイツのデューレンに生まれる。90年20才でリーズ国際コンクールで2位を獲得。以来、世界各地で演奏活動を行い、各国のオーケストラとも共演。今回演奏されるグリーグのピアノ協奏曲をサイモン・ラトル指揮/バーミンガム交響楽団と録音した際、ラトルは「幸運にも共演できた年齢を超えてもっとも卓越したピアニスト」と評している。C定期のソリストテツラフとはヨーロッパ各地の音楽祭で共演している。

ポール・エルミング〔テノール) 

1946年デンマークに生まれ、80年代はコペンハーゲンの王立歌劇場でバリトン歌手として活躍。その後テノールに転向。89年には王立歌劇場でパルシファルを歌い、テノール歌手としてでビューを果たす。
ワグナー歌手としては欠かせない存在で、バイロイト、ウィーン国立歌劇場、ベルリン国立歌劇場など各地で活躍。

マッティ・サルミネン〔バス) 

フィンランドの声楽界を代表するバス歌手。1972年ケルン国立歌劇場で「魔笛」のザラストロ役でデビュー。以来、チューリッヒ、ベルリン、ウィーン国立歌劇場などに出演。ワグナー歌手として「ニーベルングの指輪」、「さまよえるオランダ人」などの数々の作品に出演。

ヴォルフガング・シェーネ〔テノール) 

ドイツに生まれる。ハノーヴァーとハンブルクで学び、73年にはシュトゥットガルト州立歌劇場と契約。78年には宮廷歌手の称号を授けられる。今日までシュトゥットガルトを本拠地として、ウィーン、ハンブルク、ミュンヘン、ベルリン、パリなどの主要歌劇場に客演。

吉野直子(ハープ) 

6歳からアメリカで名手スーザン・マクドナルドに師事、1981年ローマ国際ハープコンクール第2位、1985年には17歳という最年少で、イスラエル国際ハープコンクールに優勝。以来精力的な演奏活動を繰り広げている。近年はザルツブルグやロッケンハウスでの演奏、ヴァイオリンのクレメル、フルートのシュルツとの共演、レコーディングなどで注目されている。N響とは1986年以来たびたび共演しているが、デュトワとは今回が初めて。

上田晴子(ピアノ) 

東京芸大、同大学院を経てパリに留学。ロン・ティボー国際コンクール入賞など輝かしいコンクール入賞歴を持つ。ヴァイオリンのジェラール・ジャリ、ヴィオラのセルジュ・コロ、フルートのエマニュエル・パユらと共演する一方、ソリストとしても活躍。1995年以来パリ音楽院の室内楽科助教授として後進の指導にあたる。

本荘玲子(ハープシコード) 

長らくN響楽員として活躍、現在は団友となって共演の機会も多い。今回の作品はジャン・メルティノン、サヴァリッシュの指揮で演奏したこともある。

ブルーノ・レオナルド・ゲルバー(ピアノ) 

ヴァイオリニストの父とピアニストの母という音楽家を両親に、恵まれた家庭に生まれたゲルバーは7歳の時重い小児麻痺にかかり寝たきりの生活を強いられた。しかしベッドでもピアノが弾けるよう改造して練習に励み、10代の終わりにはアルゼンチンを代表するピアニストになっていた。1960年パリに留学、マルグリット・ロンに師事。「私の最後の、しかも最高の生徒」という評価を得、1965年のロン=ティボー国際コンクール第3位入賞。
我が国へは1968年が最初で、N響とは1973年以来共演を重ねている。前回は1996年インバルの指揮でグリーグのピアノ協奏曲を演奏している。

リーラ・ジョセフォヴィッツ(ヴァイオリン) 

3歳からロサンゼルスのコルボーン音楽院でロバート・リプセットのもとでヴァイオリンを始める。その後フィラデルフィアのカーティス音楽院でジェイミー・ラレードに師事している。クリーブランド管弦楽団、シカゴ交響楽団、フィラデルフィア管弦楽団、ロサンゼルス・フィルなどアメリカを代表するオーケストラとの共演を続けている。
1995年4月に初来日。初々しい感受性をたたえながら表現意欲にあふれた熱演で聴き手を圧倒した。
使用楽器は「Ebersolt」と呼ばれる1739年製のdel Gesuであるという。

ピエール=ロラン・エマール(ピアノ) 

1957年リヨン生れの現代フランスを代表するピアニスト。パリ音楽院でイヴォンヌ・ロリオ、マリア・クルシオに師事。1973年のオリヴィエ・メシアン国際コンクールで優勝、以来ソリストとして国際的に活躍。

原田節(オンド・マルトノ) 

慶応義塾大学卒業後パリ音楽院オンド・マルトノ科に進み、ジャンヌ・ロリオのもとで研鑽、首席で卒業。在学中よりリサイタルや室内楽さらにオーケストラとの共演で活躍、初演した曲も170以上にのぼる。1992年にはメシアンからの以来でパリ・バスチーユ・オペラでの「アッシジの聖フランチェスコ」に参加、同年シャイーが行った「トゥランガリラ」の録音にも参加。

ジャン・フィリップ・コラール(ピアノ)

1948年フランス、シャンパーニュ地方に生まれる。パリ音楽院でフランス楽壇の長ともいうべきピエール・サンカン教授に学び、69年のロン・ティボー国際コンクールでフォーレ特別賞を受賞。翌70年ジョルジュ・シフラ国際コンクールに優勝、一躍脚光を浴びた。

アンヌ・ケフェレック(ピアノ) 

生粋のパリジャンヌ、ケフェレックはパリ音楽院でレリア・グソーに学ぶ。1968年ミュンヘン国際コンクール第1位でその名が広く知られるようになった。ミュンヘン、ウィーンで喝さいを博した後、71年パリでフランス国立管弦楽団と共演、同年イギリスデビューも果たす。

スティーヴン・コワセヴィチ(ピアノ) 

1940年ロサンゼルス生れ。早くから才能を発揮し、11歳の時サンフランシスコでデビュー、18歳の時ロンドンに渡り、マイラ・ヘスの薫陶を受ける。61年ウィグモア・ホールでデビュー、これが絶賛されたことで本格的なキャリアが始まる。

ロバータ・アレクサンダー(ソプラノ) 

ミシガン大学を経てオランダに留学。アムステルダムでデビュー後、アメリカ各地のオペラハウスで頭角を表わし、82年にチューリッヒ歌劇場でニコラウス・アーノンクール指揮、ジャン=ピエール・ポネル演出のモーツァルト「イドメネオ」のエレットラ、ベルリン・コミッシェ・オーパーでハリー・クプファー演出の「ボエーム」のミミを歌った。ミミは84年のロイヤル・オペラへのデビューでも歌った。

ギル・シャハム(ヴァイオリン)

1971イリノイ州に生まれる。3歳の時両親の出身地であるイスラエルに移住し、7歳からルービン音楽院でサミュエル・バーンスタインに学び始めるや、天賦の才能は一挙に花開かれ、スターン、シェリングといった巨匠に”神童”と絶賛された。80年、アメリカのアスペン音楽祭夏期アカデミーに参加した折に、名教師ドロシー・ディレイに認められてジュリアード音楽院で学び、翌年、10歳でエルサレム交響楽団と共演して正式デビュー。以後リサイタルのほか、世界中のメジャー・オーケストラのほぼ全てと共演。

ミッシャ・マイスキー(チェロ)

1948年1月10日ラトヴィア共和国の首都リガに生まれた。少年時代から天賦の才能は明らかで、14歳で全ソ連邦コンクール優勝、18歳の66年にチャイコフスキー国際コンクール入賞後は、モスクワ音楽院でロストロポーヴィッチに親しく教えを受け、前途洋々の人生を約束されていた。しかし69年突如逮捕され強制収容所に入れられた。しかしそれにも屈せず72年11月8日にソ連を出国した。

イングリット・ヘブラー(ピアノ)

1926年6月20日ウィーンに生まれ、ザルツブルグ・モーツァルテウム音楽院、ウィーン音楽アカデミー、ジュネーヴ音楽院で学んだ後、ジュネーヴ国際音楽コンクールで52年と53年に2年連続2位、54年にミュンヘン国際音楽コンクールで入賞。これを機に国際的な活動を始めた。デビュー当時からモーツァルトの音楽を積極的に取り上げ、早くも60年代に「リリー・クラウスを継ぐ女流最高のモーツァルティアン」という定評を得た。

マキシム・ヴェンゲーロフ(ヴァイオリン) 

1974年8月20日、旧ソ連ノヴォシビルクスに生まれる。両親ともに音楽家という恵まれた環境の中で、5歳でノヴォシビルクス音楽院付属音楽院に入学、名教師ザハール・ブロン氏に師事。11歳でヴィニャフスキー国際コンクール・ジュニア部門で優勝、90年には16歳でロンドンのカール・フレッシュ国際ヴァイオリンコンクール優勝。

ザビーネ・マイア(バセット・クラリネット) 

1982年にカラヤンがベルリンフィルに彼女を採用しようとし、ベルリン・フィルとの間で確執があったのは有名な話である。結局翌1983年に自主退団をしたことで問題は決着した。以降ソリストとして活躍をする。
シュツットガルトでオットー・ヘルマン、ハノーヴァーでハンス・ダインツァーに師事、ラファエル・クーベリック率いるバイエルン放送交響楽団に入団。

堀米ゆず子(ヴァイオリン) 

1980年エリザベート王妃国際音楽コンクール・ヴァイオリン部門で優勝。マールボロ音楽祭やクレメルの主催するロッケンハウス音楽祭に参加、90年からはカザルスホールのレジデント・カルテットのリーダーとして活躍。

今井信子(ヴィオラ) 

1968年のジュネーヴ国際音楽コンクール・ヴィオラ部門の1位なしの2位入賞。以後ヨーロッパに居を構え、国際的な舞台でソロと室内楽活動を続けている。

菅英三子(ソプラノ) 

京都市立芸術大学とウィーン国立大学で学び、あるフレート・クラウス国際声楽コンクール第2位などの入賞を経て91年にチェコスロヴァキア国立スメタナ劇場でデビュー、現在はプラハ国立歌劇場専属歌手。

インゲボルク・ダンツ(アルト) 

デトモルトの北西ドイツ音楽アカデミーに学び、学生時代から多くのコンクールで優秀な成績を挙げて注目されて、デトモルト州立歌劇場やハンブルク国立歌劇場に出演。90年代に入り宗教音楽で本領を発揮し現代ドイツの若手世代を代表するアルトの1人。

吉田浩之(テノール) 

国立音楽大学声楽家と東京芸術大学大学院オペラ科に学び、二期会オペラ・スタジオ研究生第30期卒業、NHK洋楽オーディション合格後の90年、国際モーツァルト声楽コンクールで入賞、ウィーン・フィルと共演後国際的なキャリアを築き始めた。

妻屋秀和(バス) 

東京芸術大学卒業、同大学院在学中の1988年、藤原歌劇団のヴェルディの「マクベス」の刺客でオペラ・デビュー。91年日本音楽コンク−ル第3位、日本声楽コンクール第2位の翌年ミラノに留学。94年にライプツィヒ歌劇場と専属契約を結ぶ。ブレゲンツ音楽祭にも出演。

スウェーデン放送合唱団 

1925年創設で、52年エリック・エリクソンが首席指揮者に就任して以来現在の基本メンバーが32名編成の室内合唱団となり、その実力を飛躍的に高めた。94年エストニア出身のトヌ・カリユステが首席指揮者になって以降もその声望は高まる一方。特にアバド指揮のベルリン・フィルのコンサートとレコーディングに寵愛されている現在最も忙しい合唱団である。

トーマス・ツェートマイヤー(ヴァイオリン) 

1961年ザルツブルグに生まれた。モーツァルテウム音楽院の教授を務める父の指導で4歳からピアノを、5歳から作曲を学び、6歳でモーツァルテウム音楽院に入学、父親とシュタインシャーデンに英才教育を受ける。後にナタン・ミルシュタインの教えも受ける。75年に国内の青少年コンクールで1位、78年にはザルツブルグの国際モーツァルト・コンクールで優勝、その年のザルツブルグ音楽祭でデビュー。独墺系の新鋭ヴァイオリニストとして一躍注目を集める。

イェフィム・ブロンフマン(ピアノ) 

1958年旧ソヴィエトのタシケントに生まれる。幼いころ母よりピアノを習う。1973年イスラエルに移住し、テル・アヴィヴ大学でアリ・ヴァルディに師事した。その後アメリカ=イスラエル財団の奨学金を得てジュリアード音楽院、カーティス音楽院などでルドルフ・フィルクスニー、レオン・フライシャー、ルドルフ・ゼルキンに師事した。1975年にメータ指揮モントリオール交響楽団の演奏会でデビュー、78年にはニューヨーク・フィルのソリストにも選ばれた。ソロでは1981年ワシントンのケネディー・センターでリサイタル・デビューを飾った。

マリオ・ブルネルロ(チェロ) 

1960年イタリアのヴェネト州カステルフランコに生まれる。幼時から音楽的才能を現し、アドリアーノ・ヴェンドラメリ、アントニオ・ヤニグロらに師事した。1986年26歳の時チャイコフスキー国際コンクールで優勝し、その時に演奏したフレンニコフの協奏曲の演奏で、批評家特別賞、聴衆賞を獲得、注目を集める。以降ソリストとして国際的に活躍、ジュリーニ指揮のミラノ・スカラ座管弦楽団、シノーポリ指揮のフィルハーモニア管弦楽団との共演で好評を博す。
N響とは88年に初共演、94年サヴァリッシュの指揮のもと定期初登場。

ティモシー・ハッチンス(フルート) 

1954年イギリスのウィンチェスターに生まれる。幼児期をオーストラリアで過ごし、60年にカナダに移住、そこで父の手ほどきでフルートとリコーダーを始める。69年イギリスに渡りロンドンのトリニティ・カレッジ・オブ・ミュージックに入り、高校卒業後は同地のギルドホール音楽学校で名教師のトレヴァー・ワイのもとで研鑽を重ねた。75年カナダに戻ったハッチンスはユース・オーケストラのメンバーになり、78年モントリオール響の首席奏者のオーディションに合格した。


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